長さも、眺めも、日本一。坂本ケーブルで比叡山へ。

坂本ケーブル

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比叡山鉄道

# 沿線ガイド
昭和初期から
続く物語

歴史薫る石積みの町・坂本から聖峰・比叡山へ。その歴史には、さまざまな出来事がありました。昭和初期から続く物語をア・ラ・カルトでお届けします。ケーブルに乗る11分間がもっと楽しくなることでしょう。

ア・ラ・カルト 1927年から続く姿

坂本ケーブルは、石積みのある門前町坂本と世界文化遺産である比叡山延暦寺の表参道として敷設され、1927年(昭和2年)3月15日より営業を開始しました。現在に至るまで最新の巻揚げ機の更新や全鋼製車両の導入など施設の近代化を図りました。
中でも「架線レス化」は、坂本ケーブルのケーブルカーを自然環境に配慮したエコな公共交通機関として位置づけました。エネルギーの効率化が求められる現在、ケーブルカーは「省エネ」機関の代表格となっています。

善男善女を運んだ三代の車両たち

木造の坂本ケーブルの初代車両は当時「日本最大」。戦争中には特攻機運搬用に改造されて哀れな姿になりましたが、戦後には復元、1951(昭和26)年にはブルーとクリームのツートンに塗り替え、「紫雲」「瑞雲」と名付けられました。

さらに大型化したのが1958(昭和33)年に登場した鋼製の2代目車両です。正面2枚窓・前照灯1灯のスタイルは当時の流行でした。オレンジ一色だったこの車両も、1965(昭和40)年、やはりブルーとクリームのツートンになりました。

1993(平成5)年に登場、現在活躍中の3代目は、大きな窓を備えたヨーロッパ調の車両で「縁」「福」と命名されました。なお、同時に巻上機も最新のインバータ制御方式に交換されています。

客室天井と側壁を撤去、「貨車」にされた車両

戦争は、坂本ケーブルの歴史にも影を落としています。1945(昭和20)年5月、坂本ケーブルは海軍に接収されます。本土決戦に備え、比叡山頂に人間ロケット特攻機「桜花」の発射基地を設置することになり、その資材運搬のためでした。

ちなみに、もたて山駅はキャンプ場へのアクセスのため1949(昭和24)年に「裳立山遊園地」駅として開業し、1974(昭和49)年に改称されました。また、一方のほうらい丘駅の開業は1984(昭和59)年と、意外と新しい出来事です。

接収前に破壊された特攻機発射台

発射台も完成、走行テストも完了し、あとは実戦投入を待つばかりの状態だった8月15日に日本は降伏。発射台は米軍の接収前に破壊され、跡地はしばらくキャンプ場として使われました。

建設には牛がかり出された

ケーブル坂本駅・ケーブル延暦寺駅両駅の高低差は約480m。21世紀ほど土木技術が発達していなかった当時には、大変な難工事の連続で、工事には牛車がかり出されるなどでした。

想像を絶する難工事の連続

延暦寺からの「霊山の山肌に、開発の爪痕が一切残らないように」、日吉大社からの「車窓から神聖なる官幣大社の社殿を見下ろされるのは」という要望を受け、大津から線路が見えないよう配慮された結果、坂本ケーブルは、トンネル2カ所を含む、カーブの連続した2,025mの路線となりました。

日本最長のケーブルに

その後、1944(昭和19)年に愛宕山(2,135m)、1966(昭和41)年に伊香保(2,090m)のケーブルが廃止されたため、坂本ケーブルが「日本最長」のケーブルカーとなり現在に至っています。

なお、「高低差日本一」(580m)の叡山ケーブルとあわせて比叡山回遊ルートをとると、2つの「ケーブル日本一」を体験できます。

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